2013年10月4日金曜日

Episode1-13(Final) Black Belt.


審査の結果....今日の自分は何点?と言われれば、今の自分の実力や状況、性格など色々ひっくるめれば、100点だと思いました。あくまでも、この瞬間に私が出来る範囲としてです。他の人と比べていません。絶対的な値です。今できることは、すべてやったという感じでした。

今回の審査。まるで普段の稽古のようにダメ出しされたりしました。
緊張の一瞬です。
自分でも明確な理由は良くわからないのですが、なぜか、きっと合格していると思いました。私は元々そんな楽観的な人間ではありません。ウチの道場にはポジティブな仲間がいます。例えば試合まであと一ヶ月のとき、その方は「一ヶ月ある」と言います。私は「一ヶ月しか無い」と言うタイプです。どっちが正しいか?。そりゃポジティブに考えるのが正しいに決まっています。心配しようが、気軽に過ごそうが、時間は公平に速度を変えずに流れます。だったら、余計なことを考えない方が良いに決まっています。

そんなふうにネガティブな私が、合格を信じていたのは不思議でもあります。
多分ダメ出しのせいだとは思います。「落とす人にダメ出ししないだろう」とか考えていたのかも知れません。この3ヶ月後ぐらいに、「実はそうでも無かった」という事を知るのですが。

審査発表では、合格者の名前が呼ばれます。なかなか名前を呼んでもらえません。

合格者の発表。合格するに決っているという根拠の薄い思い込みのため、そんなに緊張していない。

かなり後の方で、果たして呼ばれました。念願の黒帯です。

高校生の頃、「正式な黒帯」になれなかった話はしました。そしてここまで、「オッサン」としてはかなり無理をしてきたつもりでした。感動で泣いても良さそうな場面です。でも不思議と冷静なのです。
思い起こせば、いつだってそうでした。受験で合格したとき。大人になってあまり容易には取れないIT関連の資格を取った時、成人式、結婚式、昇給、昇進....全てにおいて、求めているときに思うほどの感動が無い。いちいち、思い描き過ぎなのかも知れません。本当に不思議です。ある意味「つまらない男」なのかも知れません。

帰りは、師範の車に同乗して帰りました。一緒に広報として行って下さったドンが、メールで道場の仲間に連絡を入れたため、祝福のメールがジャンジャン届きました。なかなか生きていると、人に祝福してもらう機会なんて滅多あるものでは無いです。ここで少し嬉しさが込み上げて来ました。

家の者に「帰るメール」をした際に、結果を書かずに送りました。家の者は特に空手をしている私には興味が無いようなので、あえて書かなかったのですが、そうしたら、結果を聞いてきました。少しは気にしていたのか、とても気にしていたのか、ここが分かりにくいから、一般的に男女間には色々余計な摩擦が起こるのかなぁ~とか考えてしまいます。


昇級、昇段、決まり次第、帯を渡すのが習わしです。ウチの道場のものか、一般的なルールかは知りません。多分一般的にそういうものなのでしょう。
私の帯は、大手の道衣メーカに頼んだ関係で、混み合っていて、間に合いませんでした。次の火曜日に稽古に行くと、師範がご自身の予備の黒帯を貸して下さいました。かなり年季が入っていて、思わず拝みたくなる、恐れ多い感じの帯を一日だけ締めて稽古しました。

そして、その次の稽古だったと思います。帯が届き、授与されました。

硬くて、結びにくくて、ちょっと動くと解けてしまいます。
刺繍の色は、希望を聞いてもらえるらしいのですが、取得する前に言うのもどうかと遠慮してしまったのと、急だった事もあり、自動的に選ばれてオレンジです。師範の好みの模様です。
高校生のときは赤だったし、師範の普段使いの帯は赤なので、同じが良いかと思っていましたが、よく考えたら、高校生の頃はオレンジが良いと思っていたし、実は私自身、刺繍の色にそんなにこだわりは無いような気もします。
ちなみに、最近は色々な色の刺繍があります。白とか白銀とかが今どきは少し人気みたいです。青とかピンクもあるのですが、あまり見たことがありません。

黒帯の意味は、「何色にも染まらない」という意味だそうです。ウェディングドレスとは逆の意味ですね。
締めると、気が引き締まるような気分でした。この頃、師範がブログに、私の昇段を受けての事だと思いますが、「黒帯の意味」について触れておられました。「何色にも染まらない」の他に、「初段でも十段でも黒帯」というような意味の事が書いてあったような気がします。特に協会では、帯に装飾を入れたりはしません(※)。文字通り、見た目では、初段でも三段でもわからないのです。
一つの大きな境界を越えてしまったわけです。

他流派か団体によっては、段位に応じて、白いラインのようなものが増えてくところがあったような気がします。

道場ではしばらく、仲間から、ビックリするくらい祝福を受けました。
でも浮かれている場合ではありません。


冒険モノのドラマにありそうなパターンですが、私が「ゴール」だとか思っていたこの瞬間は、実は「スタート」であり、新たなる試練の幕開けだったのかも知れません。


To be continue.....



~あとがき(Afterword)~

この記事を書くために、過去の色々な記録を引っ張りだしました。
特に手書きの手帳は有効な資料だったのですが、このお話の1-(6)以降が、「昇段審査と同じ年の手帳に書いてある」という事実に、驚いてしまいます。入門してから1年と3ヶ月間のお話なのです。
黒帯になったら、少し速度を落として、のんびりして行こうとか企てていたのですが、結局この調子か、これ以上に突き進む事になります。オヤジであるがゆえ、現役で公式戦に出場する、さらに勝とうとか考えるなら、もう私にはそんなに時間は無いだろうと考えます。
オヤジのホシの次なる目標は、「チケットを無しで武道館へ行く」「客席で無くアリーナに立つ」か?とか、夢を見るのは自由なのを良いことに、無謀な事を思い描いています。そしてやめておけば良いのにこの後その方向に進もうとします。

このお話は、私が「オヤジのホシ」になるまでのサクセスストーリ(?)として、取らぬ狸の皮算用的に、まだそうはなっていないし、その目星も立た無いのに、書き始めたのです。だからこの続編の結末は現在わかりません。ウチの道場には他にもたくさんのオヤジとそして大人の女性が沢山いらっしゃいます。周辺の道場にもそんな方が一杯いらっしゃいます。私がオヤジのホシにならなくても良いかとも最近思います。話が進んでいくうちに、別な人が先に「オヤジのホシ」になって、私は傍観者といしてこの話を綴っているかも知れません。そんな形で、傍観者になるのも悪く無いと思います。理想は「オヤジノホシ」ですかね。執筆開始時と、ウチの道場の雰囲気は変わりませんが、状況は変わってきています。
でも私は何一つ諦めるつもりはありません。きっと何処かでオヤジのホシを掴みたい。そして、繰り返しますがそれほど時間は無いはずです。無茶をすると簡単に壊れるので、試行錯誤、ジタバタしながら精進していこうと思うのです。

最後に、ご指導頂きました、師範、先生方、一緒に頑張った道場の皆様、近隣の道場の皆様、空手で不在になりがちなのに、特に文句も無く送り出してくれた家の者に深く感謝致します。


押忍!!

2013年8月25日日曜日

Episode1-(12) Examination.


その夜、当然のように眠れませんでした。幸い、多くの空手イベントと違い、昇段審査は午後からです。今回広報係の私が審査ということで、代わりに広報を買って出てくださったドンと時間を合わせて、電車に乗っていつもの伊勢原体育館へ向かいました。

丁度昼に到着し、受付を済ますと、持参した弁当を、まるで食べる気がしないのに、無理やり流し込みました。

「大人は落ちない」という噂を聞いた事があります。そんな話を過信してはいけませんが、そういう期待はありました。でも、これは都市伝説でした。組手は相手が必要ですし、型もそして移動基本も2人同時に実施します。ですからずっと一緒に受審した大人の方がいらっしゃいました。その方が
「今回二度目なんです」
なんて事を言っておりました。

私の歳だと、普段の稽古を大真面目に一回こなせば、かなり疲れます。その上、審査の前には本部指導員の大先生による、講習会があるのです。例えば足を地面に付けないでひたすら蹴りとか、大変な内容でした。本当に、ボロボロでした。でもこのボロボロが大事なのです。



そして、審査。

審査は、移動基本、組手、形の3項目ですが、 受審者は沢山います。特に初段は多いので、効率優先で順序を調整しますので、どこから始まるかわかりません。私は、最初自由一本組手でした。一番心配な内容が最初に来て、ある意味良かったです。前日の夜の特訓の成果もありましたし、相手の方の癖もあまり無く、驚くくらい難なくこなす事が出来ました。自由一本に今回から変更されたと言っても、やはり組手は勢いとか気迫が大事だと思います。
自由一本の様子。(難なくと言いつつ、体幹ずれているなぁ~)

そして移動基本。順番の都合か、かなり時間が空きました。

個人的には移動基本は一番きついのですが、状況に左右され無い。つまりは、実力がそのまま出る感じなので、やるだけやるしかありません。でも力んでいたのでしょう。審査員の先生に終わった直後呼ばれて、「硬いよ。もっと力を抜いて」と言われました。

手刀受からの貫手


さて、形です。個人的に組手が苦手とはいえ、やはり最大の難関は形です。緊張は大敵です。
緊張して力むと、普段普通に出来る事もできません。
でもこの状況で、緊張するなという方が無理があります。
県大会の話で、試合前に疲れるほどアップをしたらフラフラで、試合どころでは無くなるから、おっさんは無理な運動をしてはいけないと考えていたのですが、これは間違いでした。
前日の通常稽古、そして昇段審査前のやたらにきつい講習会。組手のあとは妙に待ったのに、たまたま、移動基本の後、ほとんど間髪入れずに形の審査になってしまいました。とても辛いのです。普通に前屈立するのもきつい状況です。でも、1つすごい効力がありました。私にとって最大の敵である「緊張」。これが出てしまうと、実力半減以下です。でも、ものすごく疲れた反面、なんだか体がカッカして、頭はボーとして、ほとんど緊張しませんでした。
審査をしてくださった県の支部の先生からは、
「力み過ぎ。今幾つよ?その歳なら、もっと力を抜を抜いて、立ち方をしっかり丁寧にやらなきゃダメだ」
と形の審査の後おおよそそんなニュアンスでダメ出しされました。至極、もっともなご指摘だったのですが、私的にはかなりこれでもかなりリラックスして臨んでいました。まぁ、複数の先生に同じ事を言われるということは、最重要改善項目に決まっています。なにかにつけ、改善すべき点がはっきりしていて、それを改善する機会があるということは、多分、きっと、幸せな事なのだろうと思います。
右拳が伸びすぎに見えるかもしれませんが、「これは「受け」じゃない。裏拳打なんだ。」という信念でをもっての事です。
形の審査が終わった後、程なくして、審査発表でした。その場で結果が出るわけです。車の免許の筆記試験の後のような気分です。





2013年5月10日金曜日

Episode 1-(11) Towards the Retake.-2

その後、少しでも練習量を増やすため、4月から開催された県本部主催の「一般部特別稽古」に参加しました。これは月一で行われる、県大会で上位になり全国大会に出場する子供達の強化稽古の後におこなわれていました。この稽古は、昇段審査対策よりも、普通に空手の理解を深める良い機会になるという感じでしたが、とりあえず昇段に向けて、出来ることはやっておこうという姿勢でした。

昇級審査と話が前後しますが、そのようなわけで、4月22日(日)、雨の中、電車とかなりややこしいバスを乗り継いで、丁度2週間前に県大会が開催された伊勢原の体育館へ向かいました。大きなカバンを背負って、一人で電車に乗って、空手イベントに参加するのは、心細い反面、少し楽しくもあります。
ウチの道場のブログに詳細が書いてありましたが、主に内容は、普段道場ではやらないような、変わった内容ばかりでした。私が若造になるくらいの感じなので、「無理なく」と宣言されていた割には普通にきつい内容でもありました。

それ以降何もイベントが無い日曜日は、主にジョギングをしていました。

そして、5月19日、昇級審査。
前にも言ったかもしれませんが、ウチの道場は、「いつも変わらぬ鍛錬を」と言いつつ、モードがあります。神奈川県大会からこの日までは、「昇級審査モード」でした。そして、昇級審査が終わると、「昇段審査モード」に突入しました。昇段試験までは3週間しかありません。もう少し昇段試験が先と勘違いされていた師範が、「ヤバイじゃないですか。時間が無い。」とおっしゃっておられ、益々緊張感が増しました。

翌週(5月21日(月)、数百年に一度の金環日食が各地で観測された週)から、本格的に昇段審査モードに入りました。昇段審査を受けるのは、道場では私一人でしたが、茶帯以上は、昇段審査向け中心の稽古内容になりました。そして、終了後は一人居残って稽古です。昇段者専用の特別メニューもあります。

5月27日、二度目の伊勢原大人の稽古。
このときも、神奈川県内の偉い先生のご指導。色々なパターンの稽古がありました。
最初に肩慣らしに形をやったのですが、一緒に参加されていたウチの師範が、担当講師の先生に、「彼が来月昇段審査を受けます」と言って下さり、肩慣らしの形は慈恩になりました。恐れ多い感じです。
最後の整理運動で、猿臂(肘打ち,エルボ)のみの組手をやりました。スポーツクラブの格闘系エアロで出てくるムエタイ技で鍛えた(?)エルボを夢中で繰り出しました。楽しかったけど恐ろしく疲れました。

話は少しそれますが、空手再開から1年と2ヶ月。早くも道衣がくたびれてきました。所属団体の名称も変わりましたし、この少し前に道衣を新調しました。そして、この日の伊勢原の稽古で初めて着ました。尚武というメーカ製です。とても汗を掻くので、毎度道衣の下を脱ぐとき、紐が濡れて脱ぎにくいという事もあり、下の腰紐が袴のようになっているのという点が選定理由ですが、太すぎず、細すぎず、かなり気に入ってします。
伊勢原での稽古のあと、新調した道衣を自分撮り

そしてこの頃から、腹痛に襲われ始めました。昔からそうです。受験の前とか、それこそ子供の頃の空手の審査の前もそうだったかもしれませんし、近年では、お客様とのややこしい会議の前とか、とにかく緊張すると、腹が壊れます。全然肝が座っていないのです。

ウチの道場には、たまに近隣の道場から出稽古の方がいらっしゃいます。
その中でも、若い女性ですが、私も尊敬して止まないくらいの方がいらっしゃいます。全国大会にも毎度出場しています。その人が、審査の3日前の稽古にいらっしゃって、私の形を見て下さいました。そして、とても褒めてくれました。
「昇段審査モード」に突入してからは、「慣れているはずの慈恩で、こんなにもダメ出しが入るものか?」というくらい、師範に徹底的に直されていましたので、やっと少しは形になり始めて来たのかも知れません。
このときを堺に腹痛がピタリと止まりました。現金というか本当にメデタイ奴です。

そして審査前夜。土曜日。ウチの道場は通常稽古です。相変わらず昇段審査モードで、一部の方には、お付き合いいただいておりました。
今回から、組手の審査が自由組手では無く、自由一本組手に変更になっています。同じ道場のとある大人の方とその自由一本組手の稽古をしていたときのことです。その方の突き方には少し特徴があって、ここに来るだろうという位置から、さらに伸びます。当然受ける側は詰まって受ける事になってしまいます。反撃も詰まります。こういう場合は、しっかり受ける事が出来る位置まで下がらなくてはなりません。攻撃側に責任はありません。受ける側の問題なのです。大人には優しい師範に、珍しくいつもより強目にダメ出しされました。その場で数回、繰り返して受けの練習をしました。前夜です。十数時間後には、本番です。これは焦りました。組手が原因で審査に落ちた10代の頃が頭をよぎります。

2013年3月23日土曜日

Episode 1-(10) Towards the Retake.-1

以前にも書いたと思いますが、ウチの道場はいつも変わらぬ鍛錬ををモットーに、稽古をしますが、現実的には、直近のイベントに向けての稽古が中心になります。
地区予選(県大会)が終わったら、今度は5月の昇級審査に向けて、動き出します。

私は、その審査は受けないので、試合も終わったし、少し体を休めたいところですが、6月の昇段審査があるので、それに向けて、また頑張らねばなりません。

2012年5月19日昇級審査の様子

昇段審査。つまり黒帯になるかどうかの審査です。
高校生の頃、空手を辞める直前は、黒帯を絞めていました。
だから「奪還」という気持ちもありました。
でも、その高校生のときの黒帯は公式なものではありませんでした。当時の団体及び所属道場のルールでは、黒帯は道場で「仮に」取得をして、そのあとで、都の公認審査らしきものを受けなくてはならなかったのです。(当時は都民だったのです。)その審査に二度落ちています。しかも、形は合格点で組手で落ちているという結果でした。もはやその審査の様子は思い出せませんが、その結果だけは、今でも頭に残っています。実質、茶帯に近いので「奪還」は言い過ぎなのですが、どうも頭のなかには「奪還」という文字がこびりついていました。

道場は昇級審査モードでしたが、昇段審査の形を決めなくてはなりません。
師範はいつもは、「何にしますか?」と希望を聞いて下さいますが、この時ばかりは違っていました。一応聞きはしましたが、一応です。完全に指定されていました。ニュアンスとしては
「形はどうします?観空大はダメです。慈恩にしましょう。今回は獲りに行きますから。」
と言われました。言葉の意味も十分理解出来ました。「獲りに行く」ときと、だたの「挑戦」では、違うのです。実は、地区予選の延長で、そのまま本当に観空大で行こうと思っていたのです。笑ってしまいました。

慈恩。
以前の話でも書きましたが、比較的私の中では習熟度がマシな型です。
その理由は、「一番やり込んでいるから」です。高校生の頃の二度の審査失敗も、慈恩で受けていました。どうも縁があります。(いや茶帯のレベルでは一番ポピュラーなので、不思議では無いのですが。)
だから、飽きてしまっているのか、低姿勢が多いのがきついのか、自分の中で「魅せる」と思える部分が少ないからか、実はそんなに好きでは無いのです。

そして、これも以前の話に書きましたが、それでいて、習熟度が高いかといえばそんなわけでは無く、他の形を演ずるより「マシ」なレベルです。「きつい」とか、「魅せ場が無い」とか抜かしている場合でも無いのです。それから完成に少しでも近づけるために、必死こいて練習しました。

2013年1月21日月曜日

Episode1-(9) Ignorance is bless.-Final-.

そして、4月8日、伊勢原体育館にて、県大会を迎えました。

午前中は形、午後は組手。

午前中の形はGARI君が2回戦進出した以外は、初戦敗退。
団体型も最下位。

昼食後、この結果を踏まえて、かなり強めのアップ。
前日までのハードの稽古の疲れもあり、本当に疲れてしまいました。もう試合当日は一切練習なんかしないと思いましたが、この「アップ」には、体を温め、ほぐす意味以外にもう一つ大事な意味があることを、この2ヶ月後に知ることになります。

そして、午後の組手。
まずは団体戦。某大学。略すと「某大」を相手に、先鋒GARI君、次鋒NAOさん、主将私で臨みましたが、ストレート負け。
後で写真を見ると、私の顔面を上段突が直撃していました。ほとんど痛く無かったので、やはり上手いと思いました。

そして個人戦。
GARI君は二回戦まで進みました。一回戦目は勝ちましたが、鼻を殴られて流血していました。
NAOさんは確か不戦勝で二回戦に進みましたが、目を殴らえてしばらく中断していました。
秋の「オヤジの大会」のときもそうでしたが、大人の大会はおっかないと、ただただビビりまくっていました。

そして私の個人組手。一回戦敗退。
とにかく長い試合でした。いつもだったら、とっととやられてしまって終わるのですが。
お互い一本をなかなか取れず、あまりの長さに、こともあろうか組手の試合の最中に「帰りたい」と思ってしまい、自分でも可笑しくなりました。
技ありを1つ取られ、さらに「無防備」という反則を取れらました。こんな滅多見る事の無い珍しい反則自分でやってしまうとは驚きました。相手の猛攻につい背中を向けてしまったのです。主審の先生が吹き出しながら反則を言い渡していました。恥ずかしい。
そして時間切れ、判定負けでした。

こうして全試合が終わった後、審判をしていて、ちょうどそれが終わった師範のところに報告に行きました。

「いや、出ただけでも大したもんですよ。普通(そのレベルで?その歳で?両方?)出ないですよ。」

と言われて、目が点になりました。このタイミングで、やっとそれをおっしゃるとは、ウチの師範は本当に面白い人だと思いました。

まぁこう言われて、この試合は全国大会につながる、いわば「公式戦」であることを、強く認識しました。
そして、当たり前のように「来年も出よう」とか企てている自分がそこにいました。
さらに帰りの車の中で、感想や反省や来年に向けての対策を話し合っている、とても楽しそうな三人がいました。

2012年10月10日水曜日

Episode1-(8) Ignorance is bless.-3

地区予選(県大会)の前の月の3月。厳しい稽古は続きました。
全ては大会で勝つために....とまでは思っていませんでしたが、善処しようと頑張りました。
厳しいと言っても、それはオヤジ目線であって、1000本突きとかスクワット蹴り100本とか、そういう事をしていたわけではありません。休まずに、そして、春合宿もそうでしたが、本来稽古の無い日にも稽古に打ち込みました。稽古の頻度が上がるだけでも、オヤジにはきついのです。

ところで、県大会には団体戦があります。3人一組で参加します。以前にも言いましたが、大会に出場する大人総勢3名、GARI君とNAOさんと私で組手と形両方出場することになっていました。

組手は先鋒、次鋒、主将の順で組手をするので、とにかく個々人が頑張れば良いのですが、形はそうはいきません。3人の息がピッタリ合っていないとなりません。仕事の都合などもあり、なかなか3人揃うことは無かったので、たまに揃うと、必死こいて合わせる練習をしました。
先生が選んでくださったのは「十手」という形だったのですが、これが、特に楽なわけでも簡単なわけでもありませんでした。唯一良い所は、「とにかく短い」ということです。3人揃うことがあまり無かったので、揃えやすいようになるべく短い形にしようという配慮だと思います。時間、時期、メンバなどなどを考慮すれば、ベストチョイスだったとも思います。
(確かに、茶帯もいて、こういう時によく使う形は2種類あると思います。ただ、どちらも、みんな見慣れているし、粗が目立つところはあると思います。まぁ余計な話です。)

毎月第四土曜日は、いつもの場所が都合により使えないため、公式には「休み」ということになっていますが、祝日が重なるでも無い限りは、休んだ事はありません。大概どこかを借りて稽古します。3月の第四土曜日は、初めて区の「市民館」というところに行きました。まだ新しく綺麗な上、大きな鏡があり、何しろ空調があるというすばらしい会場です。手すりまであるので、モダンバレエ....じゃなくて初心者が廻し蹴りの練習をすることにも適しています。
ここで、3時間、前半は通常の稽古で、後半は試合のリハーサルをしました。
形の個人戦は例によって、トーナメント方式で、2人ずつ戦い、勝ち抜けていきます。
本番のように、2人ずつ、その場でランダムに告げられた型を演じました。

それから2週間後、ついに地区予選となります。私にとって初めての公式戦。そして我らが道場が1月に支部として独立してから初めての試合です。

2012年9月5日水曜日

Episode1-(7) Ignorance is bless.-2

春合宿は、2日間に渡って行われましたが、通える範囲だったので、通いました。
初日、型の稽古が終わると、師範は普段の稽古のため道場へ。私は諸用により、一度帰宅したのですが、一時間程度遅れて合流。既に膝が笑っていました。

翌日は組手の稽古。もうひと踏ん張り会場へ。
中学生以上は一緒だったのですが、中学生といえどもなかなか激しかったりします。 打ち込みの練習でもその迫力に圧倒されました。


稽古終了後、審査員の試験があり、有段者の皆さんは試験のための組手をしていました。
試験のための組手といっても、やっている本人達は大マジです。ウチの道場のGARI君は大人の方とあたって、上段に廻蹴を入れられていました。このままで済ますかと、二巡目は裏拳打を入れていました。
試験を受けている先生が、「抜けている」と誤判定していたので、いかに速かったかがわかります。

そしてその後、有志による組手。私は結局GARI君にあたってしまい、普段と変わらない感じになってしまいましたので、二巡目は、GARI君に手振りで隣にいた中学生(高校生?)と順番を変わってもらうようお願いしました。私の隣にいた中学生はGARI君と当たる事になってしまったわけですが、あからさまに嫌な顔をしていました。
GARI君は20代前半で、組手になると迫力があり過ぎて怖いのです。私としては怖い人は実際沢山いると思いますし、しょっちゅう稽古をつけてもらっているので、GARI君自体に慣れていますが、いきなり組手をやったら、やはり怖いだろうとも思います。

私の方の結果といえば、ノーカウントでした。
審判をしてくださった先生に、「腰が引けてる」と注意されました。
これは大きな欠点であり、ここで重く受け止めるべきでしたが、この件を軽く見たために、それから5ヶ月後に痛い目に遭うことになります。

夕方、帰宅。あまり私は昼寝とかしないのですが、まだ日が出ているのに、布団に入って寝ました。


それから2週間後、ウチの道場のメンバ数人で、県央にある、とある道場に出稽古に行きました。
春合宿でGARI君や私と組手をした中学生(高校生?)がいました。どうやらそこの道場の所属だった模様です。GARI君と目が合った時に複雑な顔をしていました。
その道場での稽古の後半に、組手の練習をしました。その中学生だったか、別な若者だったか忘れましたが、GARI君にあたって、前に出ると怖いし、下がるとその道場の先生に、「下がるな」と怒鳴られるしで、散々な感じでした。やっぱコレは空手であって、スポーツじゃ無いんだよなぁ~と感じてしまいます。

そんな感じで、「試合モード」で、きつかった3月が過ぎ去って行きました。